40代独女のひとりごと

今は、ギリギリの生活だけどいつかはきっと!株の運用で不労所得生活と移住を目指す!

親の介護


母との最後の会話


2016年 12月にフェレットと一緒に旅に出て、旅先でなんとなく母親に電話した。
旅先で何気に見つけた母の好物の和菓子があったので、お店に頼んで母の住まいへ送ってもらった。私から母親に滅多に電話したりしないのだが、お菓子を送った事を伝える為に連絡した。


いつもは私と話す時は、面倒くさそうにため息交じりで仕方なしに会話する。
それがわかってたから気軽に母と電話で話した事はない。


この時は珍しく穏やかに会話できたので、嬉しくなっていっぱい話した。
今までは大変だったけど、これからは私いっぱい頑張れるような気がするから大丈夫だよと…


この会話が母との最後の会話になった。
今は、失語症で話す事も言語を理解する事も出来ない。


2016年 12月21日に母が脳内出血で緊急搬送された。


10日前に楽しく電話で話したばかりなのに…



脳内出血


脳内出血だった。元々血圧が高かったが、毎晩の晩酌を楽しみにしていて晩酌中に倒れて救急車で運ばれたらしい。


救命処置としての手術をしたが、後遺症として失語症と半身不随になり、寝たきりで寝返りも打てず、会話も出来ない状態になった。



との関係


私が幼い頃から何度か再婚を繰り返し、地獄のような生活を母と一緒に過ごしてきた。


小学校や中学校を父親が変わる度に転校した。


4歳くらいの時の記憶があるが、毎晩酒乱の義理の父に母は殴られて泣き叫んでる姿をタンスの裏に隠れて見ていた。トイレ風呂無し貸家の4畳半一間の空間の中だ。逃げ場がない。


明け方まで母と近くの公園で過ごした。こんな日がずっと続いた。


私が6歳の頃から9歳の頃まで母は体調を崩して入院してた。


毎晩酒乱の父に私が殴られてる事を心配して外泊禁止なのに病院から抜け出して私の様子を見に来た母の姿を覚えている。


母が離婚話を出した時に相手の男性が暴れて母が殺されそうになった。私が9歳の頃だった。裸足で家を飛び出し隣の家の人に助けを求めて母は無事だった。


翌日家に戻って目にしたのは、血だらけのお風呂場だった。


母と一緒にいる目の前で刀を抜かれて殺されそうになった事もあった。


そんな毎日を母と幼い頃から一緒に過ごしてきた。


それでも中学生の頃までの母は優しかった。


私が高校して、付き合ってた人と同棲を始めた頃に母も義理の父と一緒に住んでた家を出た。


母は、双子の姉がいたのだが、くも膜下出血で亡くなって、残された叔父の世話をしていくうちにそこに居ついてしまった。


私にとっては親戚の叔父さんだったし、息子が二人いたが、一人は家を出て音信不通。
もう一人の息子は対人恐怖症でひきこもりだった。
私が同棲してた外国人から離れて最初に身を置いたのは、ここの家だった。
他に行く場所がなかったし…
ある日、私の給料が全部このひきこもりの息子に盗まれた。
本人もしらばっくれて、叔父も息子を溺愛してるので私の気のせいだろうという事になり、その翌日に消費者金融からお金を借りてそこの家を出て一人暮らしを始めた。


母が叔父の所で暮らし始めて何年か過ぎ、二人が結婚して籍を入れた事を聞かされた。


最悪の事態発生だ。でも、私はなにも出来ない。


しばらくして叔父との愚痴をずっと聞かされてきたので、私が母を引き取り一緒に住もうと言って母の為に一緒に暮らす為の部屋を借りた。


叔父からもらった5万円を生活費に充てるようにと私にくれたのだが、この家はテレビも無いのか!お母さんが楽しみにしてた番組が見れないじゃない!というので、その5万円と手持ちのお金でテレビを買うと、生活費に渡したお金でテレビを買うなんて!と怒り出した。


私なりに一生懸命出来るだけの事はやったのだけど、母は叔父の元へ帰って行った。


私にこんなに酷い事をされたとしばらく言っていた。


母が住んでる家には、一年に一度、お正月だけ2時間くらい顔を出して早々に帰る感じだった。


叔父は一人で自営で理髪店を営んでいたが、毎月の家賃を払うのもやっとの生活だった。
母もパートで働いていた。


生活費が足らない時は、私にお金をかしてくれと連絡があった。


叔父と一緒に暮らし始めてから母は変わってしまった。


どうして私は母から良く思われないのだろう?


たった一人の母なのに…



あら? こうやって母の事をブログで書いていたら涙が溢れてきた。


母が今の状態になってから誰にも自分の想いを打ち明けた事がなかったからなのか。



私、母に愛されたかったんだな…って。



施設入所まで


母が緊急搬送された時に叔父が、母にかかるお金などの支払いが困難だからと、支払いのすべてを私に丸投げしてきた。



今までパートで働いて叔父の生活を支えてきた母はいったいなんだったのだろう?



救命処置の手術をしますか?と聞かれて断れるわけがない。


胃ろうをしないと施設での受け入れが困難ですよと言われて選択の余地もなかった。


緊急搬送された病院から3か月後にリハビリ施設へ転院する。それから3か月後、肺炎が悪化した為に治療を受ける為に近くの病院へ転院になった。
3ヶ月という期間を目安に転院させるようだ。


ケアマネージャーと施設探しをして見学に行ったりした。


入所出来る予定だった場所が偶然が重なってダメになった。


施設の人が母を見に来た時に、たまたま母の具合が悪かったり、ケアマネージャーと施設との連絡の行き違いのミスとかで入所出来ない施設があったのだが、決まりかけていたどの場所もとても遠くて交通の便も悪く施設のサービスの印象も悪い場所だったので、ラッキーな偶然だった。


ふと、夜中に目が覚めて、ネットで調べて気になった場所があって連絡をした。
すぐに施設の人が母を訪ねに来て、すぐに入所が決まった。
なかなか入所困難な特別養護老人施設にである。


毎月の支払いの事を考えると有料老人施設はとても無理だ。
特別養護老人施設への入所しか選択がなかった。
人からは何年も順番待ちをしてる人がたくさんいると聞かされていたので、ケアマネージャーの人にも東京を離れてもいいからお願いしますと伝えていた。


決まった施設は、とても便利な場所だし、施設の担当の方もスタッフさん達もとても親切で感じがいい。部屋も広くて清潔だし母も落ち着いて穏やかな表情でいる。


要介護の認定証や介護保険の手続きなどもあり、税金を払っている叔父と結婚をしてる事が妨げになったので、その事を理由に実際に母に何もしてくれない叔父と離婚してもらった。


これで叔父と息子達と縁が切れたわけだ。


叔父もそう長くはないだろう。ひきこもりの息子は働けないしどうするのか?


今まで母が支えてきたのだから、もういいだろう。


現在、母は終の棲家で穏やかに過ごしている。

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